
上野公園へ行って来ました。何だかんだと毎年桜のシーズンになると
行っている様な気がします。やっぱり綺麗ですからね。

もう58回目の桜祭り。100回目になる頃は私もよれよれのお歳寄り
ですかね(笑)。
平日だったにも関わらずみんな桜の誘惑に負けて訪れてましたね。

最初にここで記念撮影をする人が多いです。


桜って本当に大好きです。この日は外人さんの観光客も
かなり着ていて外人さんがとても喜んでいたのがとても印象的でした。
外人さんにもこの綺麗さは受け入れられるんだって思うとなんか嬉しかったです。

フジテレビの撮影隊も来てました。

不忍池での縁日。こういう場所が大好きです。
江戸時代の人達もこんなかんじで楽しんでたんでしょうね。


今年の縁日の予定です。

不忍池のまわりに座ってゆっくり時間を過ごすのもいいもんです。

時代劇にもよく出てくる塔。

徳川幕府と関係が深い寛永寺。前ドラマであった「大奥」でも何度か
お話の会話の中にも出てきました。昔のお寺はその時代の年号の名前がついたお寺が多いですね。
徳川家の菩提寺のうち、寛永寺は徳川家により新たに建立された寺院です。寛永2年3代将軍徳川家光公の時に今の東京国立博物館の敷地に本坊が建立され、この年が寛永寺の創立年とされています。当時の年号をとって寺号を「寛永寺」とし、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」としました。
その後、堂塔の整備には数十年を要し、元禄11年(1698年)、5代将軍徳川綱吉公の時、今の上野公園大噴水のあるあたりに本堂にあたる根本中堂が完成。この堂は間口45.5メートル、奥行42メートル、高さ32メートルという壮大な規模のものでありました。
近世を通じ、寛永寺は徳川将軍家はもとより諸大名の帰依を受け、大いに栄え、承応3年(1654年)、後水尾天皇第3皇子・守澄法親王が入寺して以後は、代々皇族が御門主を務め、御門主は「輪王寺宮」と尊称され、(日光山、比叡山の山主をも兼務)絶大な宗教的権威をもっていました。
現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内であり、最盛期には、今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたというから、その規模の大きさが想像できます。たとえば、現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水広場は根本中堂のあったところです。
上野の山は、幕末の慶応4年(1868年)、彰義隊の戦の戦場となったことから、根本中堂をはじめ、主要な堂宇は焼失してしまい、彰義隊の戦で焼け残り、第二次世界大戦の戦災もまぬがれたいくつかの建物は、上野公園内の各所に点在しています。